101. ブルちゃんのなつやすみ

 

ここはとあるおうちのおへや

 

そこにはしろくて、もっこもこの

まあるい生きもの

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なまえはブルちゃん

ただしくはブルーナボンボン

 

おとーさんと、おかーさんからはブルちゃんとよばれています

 

ときどき、ブルチャや、ブーちゃんになることもあります

 

きせつはなつになりました。

お外はとってもあついまいにちですが、

ブルちゃんはすずしいおへやでゆっくりたたずんでいます

 

さいきん、なにやら「しんいり」がおへやにきたそうで

ブルちゃんははじめましてのごあいさつ

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きいろいおはなと、ちいさなもりがおへやにやってきました

 

しんいりたちにブルちゃんはオフトンや水のみばのばしょをおしえてあげます

 

せんぱいとして、ブルちゃんはえっへんとほこらしげです

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これからみんなで、なかよく、おだやかに

このなつをすごしていこうね、と

 

ブルちゃんは今日もひやけせず、べびーぱうだーのかおりをまとっておへやでのんびりとしています

 

(おまけ)

きょうはかみさまがおへやにきていました

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11. 仕事を人生における生きがいとして重きをおいてるぽい人

 

いきなりですが、生きていく上で間違いなくなんの仕事をどのようにしていくかを誰しも真剣に考え続ける必要があるのではと思います。

 

 

 

いきなりすぎましたが、、もちろん人それぞれの価値観や生きがい的な落とし所は絶対違っているので絶対的な正解はないものではありますが、それでもこれは一理あるのではと勝手に思っております。

 

「いや、そりゃ仕事は大事だし、ちゃんと考えたことはありますよー」

 

と、冒頭の微暴論に反論ジャブかまされても、カウンターです。

 

「考える、ではなく、考え続ける」です。さらにその考える内容の広さ、深さは認識が同じであるか?

 

例えるなら夏休み期間に課された宿題を答えを丸写しして最終日に一気に終わらせるのか、それとも毎日少しずつ時間をかけて疑問に向き合い学びを得ていくのか、どちらも結果として「夏休みの宿題を終わらせた」ことには違いありませんが、その質はまるで違うと思います。

 

ぶっちゃけそこまで上手い例えではないですが、要は仕事に対して定期的にどこまで振り返っているかということを言いたいらしいです、私は。

 

仕事と生きがいに対してあーだこーだと固執しているのにはもちろん理由がありまして、

ぶっちゃけ社会人以降の生活って1日の活動時間のおよそ半分を占めている(なんならそれよりも幾ばくか多いくらい)わけですよね、ほとんどの人にとって。

その時間、寝ている時間を除く訳ですので言ってしまえば人生の半分です。人生の半分をプライベートの楽しみや趣味、自由なことに使えたとして、残り半分は仕事です(仕事をするとなった場合で考えてるので、どうしても働けないなどその他のケースはここでは考慮しないです)。

 

人生の半分を費やすこととなる仕事について、人はどう考えるのか、ここは個人によってすごく差が見えつつも、実際大きく2種類に分けられそうな気がしています。

 

それは、仕事を「嫌なもの、苦痛だか生きていくために仕方のないこと」と考えている場合か、「自分の人生をより豊かにするために、チャレンジや成長を経験するためのもの」です。

 

極端な分類ではありますが、どちらかと言えばこっち、とだれしも当てはまる方は答えられそうなものです。そして、別にどちらが良いだの悪いだのもここには無いと思っています。ただ雑に言うと仕事に対して本質的にネガティブに捉えるかポジティブに捉えるかの違いです。片方に該当する人は恐らくもう片方の方の考え方を理解できないのではないかと思うほどここはかなり対極にありそうな感じがしていますを

 

ただ、前置きが大変長くなりましたが、筆者の場合は圧倒的後者に該当し、そしてそのある種自慢のような誇らしげな「俺は仕事楽しんでるぜ〜」を詳細に説明したいというのがこの回の結論です。

もちろん、楽しいだけでなく、むしろ仕事を前向きに捉えるからこそ、それ故の苦悩があることを綴りたい気持ちが大きいというのが正直なところです。

 

 

ここで、軽く自己紹介ですが、私はとあるシステムをお客さんとなる企業さん(個人客ではない)に導入してあげて、その後のフォローも行いますよ、というようなサービスを行っている企業に務めております。他にも多様なサービスを行ってはおりますが、私が関与する部分が会社の主軸でもあるため端的に上記の説明となりました。

 

ここで、取り扱っているシステムについて、企業さんに取り入れサポートする訳ですから言うなればその道のプロである必要があります。

司書に道路の舗装を依頼しても門前払いとなるように、自社が提供するサービスについて従業員は熟知していないとビジネスは回りませんから、私自身もそのとあるシステムについてはプロとして責任をもって取り組まねばならないというわけです。

 

問題はそのシステムが、まぁなんとこの上なく難しいのです。どこがどう難しいのか数え出すとキリがなく、分かりやすく言うならそのシステムのすべての機能について完全にマスターしている人はこの世に1人もいない(ワンチャン1人か2人くらいはいるんじゃないか)くらいのイメージです。実際は知りませんがイメージそのくらい。

 

じゃあそんな難しいシステム誰も使えないじゃん、という考えになるものですが、実はそのシステムの中にもいろいろと領域がありまして、

わかりやすく言うなら学校の各教科の先生みたいなものです。英語の先生は英語の知見は豊富ですが、世界史の授業をしろといきなり言われても困った顔をされるはずです。

 

ひとつのシステムに対して各教科の専門の先生(プロ)が共同してシステム運用をコントロールしているわけです。

もちろんひとつの教科でも決して簡単ではないというところも非常に似通っています。

 

私はIT未経験ながら新卒でITの分野にチャレンジ、将来的に国内外で自身の市場価値を高めたい!という思いでこの仕事を始めました(このシステムはグローバルで使われてるところもあり)

 

いざ蓋を開けると、はて、難しいな、と

それでも日々の業務をせっせとこなしていると、とうとう3年経っておりました。最初の方は新人未経験ということで許されていた知識、経験の不足についてもそろそろボロが出ます。ちゃんと成長できてるのかな、と。

 

この時、実際に僕の同期や周りでは環境を理由に他者への転職をした人もいましたが、僕の場合は別に環境がどうとかではなく、単純に自分がもっと努力しないといけないのではないかという考えになりました。

それは実は分からないことが少し分かると、業務における自身の能力の向上に繋がると感じたからです。要はひとつ分かると、出来ることがひとつ増える、そうすると今まで時間がかかってたことがそれまでよりも負荷を感じずに対応できる、そこでふと自身の成長を感じれる。

 

この瞬間が僕にとってなにより脳汁が止まらなくなる瞬間でした。

 

ちょっと話が逸れそうなので言いたいことを忘れないうちに書いておきますが、私は元々社会人になる1年前の大学生時代に、「どうあがいても今後仕事をしないで生きていくことにはならなさそうだな」と割り切って仕事を前向きに考え出すようになりました。

基本だれしも叶うなら働きたくは無いでしょうが、働かないとなかなか生きていけないのも事実だとイヤイヤ働くことになるくらいなら、楽しんでその時間を過ごせた方が絶対いいよね、と。

 

その「楽しく過ごす」の具体的な瞬間が私にとっては仕事を通して自身の成長を感じることでした。

 

会社という組織に属することで、多少の理不尽やしんどい瞬間は仕方もなく起こりうるものですが、主体的に楽しさややりがいを見つけようとするならば私にとっては仕事でできることを増やす、自身の能力を高めることがなにより当てはまりました。

 

いつぞやどこかで書き殴ったかもしれませんが、私は絶対に人生を前向きに考えるようにして生きていくほうがその人にとって楽しいと思います。

(誰にとってどの方角が前となるのかは色々ありそうですが)

 

しかし難しいところとして、1度前向きに仕事と向き合い、脳汁を味わったからと言ってそれが長続きしないところがまた難しいところです。

 

レベル1をクリアしたら次はより難易度の高いレベル2が待ち受けるものです。そうなった時に、挑戦、失敗、挑戦そしてやっとレベル2をクリア、なのに今度はレベル3、みたいな終わりのないループを感じることもあるでしょうし、レベルが上がれば上がるほど、次のレベルをクリアする難易度も上がることに直面し、停滞や挫折を経験する人も多くいることでしょう。

見方によればずっと苦しむくらいならなるべく楽な方を考えるように、仕事はそこそこで良いやという発想で冒頭のネガティブ陣営に変わる人も居るのではないでしょうか。

 

私も今、そんな感じです。ここを超えなければ、今進化しなければ、と義務でもないのに自分で自分を追い込んでいるところはあります。

これが、乗り越えられた時にはすごく良い過程として描かれるでしょうし、その逆では相当なトラウマになりかねません。

 

改めて僕は仕事における生きがいを見つめ直さないといけないタイミングなのかもしれませんが、

やっぱり今自身を取り巻く環境(仕事も、仕事以外のところでも)で、恵まれていると感じることはすべて過去あっての今という賜物ですので、サンクコストではないですがここはもう折れたくないですよね、自分が最初に決めたことでもありますし、進路方向の修正は細かい部分はしても、軸は変えずにこれからも進み続けたいです。

 

というのをお酒の勢いに任せて3500文字ほどバーーーっといきました。

皆さん的にはどうなんですかね、仕事。やっぱり嫌かな、私は今眠いっすね。f:id:aka99:20250809233320j:image

10. 夢や目標はあるか?タンパク質は摂っているのか?

あけましておめでとうございます。

 

めちゃくちゃ時間が空きましたが、久しぶりに文章書きたくなって書いてます。

でも何を書くか考えずに着手してしまったので、パッと思い浮かんだことを自由にいきます。

 

まず、私自身は新年を迎えるにあたりいくつかの目標を立てました。

どれも基本的には通年での達成を最初のゴールとして設定しています。

 

すべて書くと長くなるので1つだけ紹介させていただくと、それは体づくりに励むこと。

具体的には、体重増加です。世の多くの方がダイエットとして体重を落とすことを目標とされている中恐縮なのですが、自分はかなりの痩せ型で、身長に対する標準体重よりも10キロ近く痩せておりました。

要は太りにくい側の人間です。要因として生活習慣、もしかしたら体質的にも代謝が人よりも激しいなど(諸説あり)あるのかもしれませんが、なにせ生涯でこれまでガリガリ人生を送り続けてきた人間です。たくさんの方を敵に回しているかもしれませんが、太れない側にだってそれなりに悩みはありますのでご容赦ください。。

 

人間ってけっこう見た目の部分で当人の自信のつき方って変わると思うんです。

私的には、太っているよりかはマシかもしれないけど、でもひょろひょろはちょっといざというときに頼りない感じになってしまうよなぁと、そこまで自信なかったので、新しいチャレンジを試みるにはいいタイミングだと思い始めてみました。

 

目標とそのための手段はこんな感じ。

 

【目標】

年内に標準体重

【行動例】

・ジムで筋トレ(筋肉重いしガタイもよくなるのでマスト)

・食生活の見直し

 →なるべくちゃんとご飯たべましょうね、なるべくたくさん

 →栄養バランスを意識して食事をとりましょう、カロリーとかも1日どれくらいとっているのか、など

 

新年明けて2週間目が終わるかといったところですが、現在順調です、また経過観察しながら楽しんでごりごりやっていきます。

 

次に、書きたいなぁ〜ってことは、先の内容につながるのですが、

「人ってやりたいことが多すぎるとかえってなにもできなくなりがち」ではないかということです。

 

よく夢や目標を持てと各方面からすっぱく言われてきたような記憶ですが、実際そういった人もいれば、成人してもなかなか「これ」っていうものが持てない人もいるのではないでしょうか。

大なり小なり、人それぞれいろいろな目標があって他人と比較するものではないでしょうが、明確に「これ」って持っている人ってどれだけいるんでしょうね、

しかもそういうのって、まわりに公言する少年ジャンプ系の人もいれば、自分だけで大切に抱えてひっそりと達成している職人系の方もいそうですよね。

自分はどちらかと言えば少年ジャンプ系ですが、職人系の方々って、まわりからじゃなかなかわからないですよね。

 

個人的な話にはなってしまうのですが、私自身はわりと大なり小なり、短期的なり、中長期的なりやりたいこと、達成したい目標や夢というのは多く持っているつもりです。

日常の中で、単に気分転換の趣味として、自己成長のための努力、生きるために必要な労働などジャンル違えど絶えず何かしらあります。それらにはもちろん優先順位というものがあり、優先度が発生する理由としてさらにつきつめれば「時間がない」からです。すべてに手を出していたら寝る時間を削って24時間使っても足りないのかもしれません。

 

やりたいことが多くある人生というのは聞くだけなら幸福そうですが、実際限られた1日の時間でどれだけの取捨選択をしなければいけないかや、コンスタントに続けなければ意味がないようなこと、その日の体調、その日だけではなく先の予定も鑑みた選択・・となると余裕で脳のキャパオーバーです。ちょっと湯気たってます。

 

掲題のテーマ自体って本来すごく前向きで良いものとされていそうですが、良いも悪いも含めて物事はシンプルにするべきだなぁとふと最近感じたんですよね。

別にやりたいことがありすぎても結局動けないならそれはどうなのって話です。

やりたいことが全くなにもない、よりかはマシなのでしょうかね、よくわからないですけど。自分と同じような経験だったり感情になっている人がもしいれば何か新しい気づきがあるんじゃないかなぁとも思いつつ、とりあえず標準体重目指してプロテイン飲んできます。

 

今年もよろしくお願いいたします。

次はまた近いうちに最近読んだ本について、深い内容だったのでいろいろ書いてみたいです。たぶん。

 

 

9. 死生観

中学生くらいのお話です。

ある夜、寝ようとした時にふと、

 

「自分て生物として生きているんだよな。」

 

「だとすると、原因はいろいろあれど、必ずいつか死が訪れるんだよな。」

 

「今は意識があって、視界に天井があってお布団があったかくて、、」

 

「でも死んでしまったらその後ってこの意識や感覚はどうなるんだろう」

 

「もし天国みたいな場所に今の意識のまま移るだけならいいんだけど、そうじゃなくてすべてなくなって真っ暗みたいな、」

・・・・・・・・

・・・・・・・・ッッッッッ!!!!

 

 

ここまでリアルに想像した私はぞっとして、その夜は怖くて眠れなくなったのです。

(気づいたらたぶん寝てましたけど)

 

以来、この自問自答が実は年に2〜3回は定期的にふとした瞬間にやってくるのです。

今は寿命で考えてもまだ前半戦かもしれないけど、これがだんだんよりリアルになってくると思うと、ぶるぶるするのです。けっこうガチで。

 

でもそんなこと考えて震えたって何も変わりません。

時間が経てば眠くなるし、お腹は減るし、お布団はあたたかいしで今日もみんな生きているのです。

誰もが、生まれたからにはいつか必ず死んでいくものです。人間に限らず、カタチあるものぜんぶ例外なく。

 

その前提は決して覆らないものであるならば、じゃあどうするか。

 

もう、生きてる間にしっかり人生を充実したものにしてやって、いつか死ぬ時に

「もぉ〜さすがにやりたいことだいたいやったし!心残りとかもそんなにねぇかなぁ!はいっ良い人生やった!ちゃんちゃん」

って笑顔で去りたい。

 

これしかねぇだろうってなり、より自分の人生、というか今この瞬間を大事に生きないといかんなぁと思って、今日も寝坊したし、だらだらしてるし、はい。人間

 

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好きな漫画の好きなシーン

 

8. こだわり

「この世に要らないこだわりなんてないから〜」

っていう、好きな曲の好きな歌詞です。

 

好きに生きて幸せを感じよう!って生活しようと思った時に、「こだわり」って少なからず何かあったほうがいいのかなと思います。

一概にこだわりと言っても、何かの物事に対する追求的な意味合いだったり、日々の生活の言動として重視していることだったり、いづれにせよその人の人となりもこだわりによって色々見えてくることもあり、まとめると人間的な面白さにつながるのかなと思います。(ファニーではなくインタレスティング)

 

そこで、誠に勝手ながら私のいろいろなこだわりについて、満足するまで、思いつく限り紹介させていただきますね。

 

【物事に対する追求編】

英語の発音はしっかりネイティブに寄せろ!

これは自身が英語を学習し続けている背景もあり、当初から意識していたことです。単に好きだからこそのこだわりでもありますが、やはり外国語のコミュニケーションの中で通じればいいじゃんで済ませたくなかったのですね、きっと。

例えば日本に移住した外国の方がカタコトの日本語でもだいたいわかるじゃないですか。それに対して文句はありませんが(むしろ日本人として非常に嬉しい)、自分が英語を話すなら相手に上手だねと褒められたり、あとは聞き手側に必要以上に負担をかけたくないのです。発音が怪しくで推測させちゃうみたいな。結果的に通じてももっとなんかスムーズにいきたいみたいな。

 

なんでも楽しく学びとする!

自分にあった成長方法といいますか、何をするにしても楽しさを感じれなければ本当にだめで、自分、、はい。しかもだめなことを周りのせいにしたくないんですよね(例えば数学って役に立たないやん〜みたいな一蹴することとか)

何においても工夫や考え方次第で絶対に楽しめると思うんですよ、たぶん。すべてというのは言い過ぎかもしれないけど。

詳細を書こうとするとすごく長くなるので割愛しますが、点と点をつなげるような考え方だったり、自分なりの仮説を立ててみて検証してみたり、ゲーム感覚でトライしてみたり、、まぁいろいろと。

こういった物事に取り組む際の考え方は過去の経験から自分に一番あっていると感じていることなのでこだわりだと断言できますね。

 

【日常の言動で重視していること編】

「お金」のことを「金(かね)」って言わない!

これは昔兄貴が「金がねぇ」ってつぶやいていたのを父親が注意していたことがきっかけで、横で聞いていた私は「その考え、、ええな。もろた」となりました。

言い方一つ、細かいところではあるかもしれませんが、人間社会で生きる上ですごく重要な要素であるお金の価値を軽んじるような気持ちが滲み出てしまいそうで、気をつけたいなぁと日頃意識しているこだわりですね。

*極めて特殊な状況下においては金ということもあります。例えば、経済のお話で出てくる「ヒト・モノ・カネ」みたいな使い方。逆にいえばそれくらいですけど。

 

食事の前後のあいさつはちゃんと作ってくれた人に伝える!

これも父親からインスピレーションを受けたことです。

私の父は今でこそ丸くなりましたけど、昔はかなり絵に描いたような昭和育ちの頑固者できかん坊って感じで。でも体育会系で育ったからなのか、チェーン店からいいお店関係なく、外食時にレジの人、見える時は厨房にまで届くように気持ちよく「ごちそーさんでしたっ!」って挨拶するんですよ。

これも無くても変わらないことかもしれませんが、やはり人間性でるなぁと思うんですよね。父のこういうところは尊敬できるなぁ、とこれももろたわけです。

こういう場面に限らず常に相手の気持ちを配慮した言動ができると素敵ですよね。えぇ。

 

ふぅ。。満足しました。多分他にもあるし、書いたやつも深ぼれば止まらなくなりそうですが、以上が紹介したかったこだわりです。

前述した通り、筆者である私の人となりがかなり見えてきたのではないでしょうか。自分をよく見せるのでこちらも必死なもんでね汗

 

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最後に留意したいこととして紹介したいのが、自分の持つこだわりは決して他者に押し付けるものではないということですね。そこだけ。

自分のこだわりを良いねと評価してくれる人がいればそれは良いことですが、みんながみんな共感してくれることもないでしょうから、少なくとも自分の中でしっかり大事にすればそれはもうどんなこだわりだってこの世に要らないこだわりなんでないのでしょう。

7. センス

センス、ありますか?

 

センスってなんですかね、そもそも。

絶対に調べません、自己解釈を並べてやります。

「かっこよさ、美しさ、人の心を動かすような」そんな〜選びなのかなぁってとりあえず思いつきました。

 

というかなんでそもそもこの話題について書きたかったかというと、単に私が「センスがよい」ということに対して語りたかっただけなんです(私のセンスがいいから聞けって意味ではないです。謙虚にいかせてください)

 

感覚は人それぞれですが、センスのよいと自分が感じるもの、ことについてやはり誰かからも「それ、センスいいねぇ〜」と共感してもらえると嬉しいものです。

しかもそれが、自分が「この人センスいいな」と感じている人からのお言葉ならば心は大気圏をゆうに超えて踊り出すものです。

 

ファッション、家具、好きな曲、映画、クリエイティブ要素の多い芸術作品系はやはりセンスのありなしが該当することが多いですよね。

 

では、このセンスとはいったいどのようにわたしたちひとりひとりのなかに宿るものでしょうか。センスは技術や見た目の変化とはまた違うため一見わかりにくいですよね。

 

私の勝手なイメージですが、まず生まれたてのBabyにセンスなんてあるわけがありません。なぜなら赤ん坊がセンスに関わる物事に触れることは基本的にないからです。その概念すら知り得ません。まずはみんな0からのスタートだと思います。

 

では、仮にそこから物心ついたタイミングのどこかで音楽を聴くようになったとします。その音楽にハマった人はいろいろな曲を聴いたり、演奏したり作曲することもあるかもしれません。クリエイティビティ到来です。

 

ここで、吟味したり生み出す楽曲に対しての良し悪しの判断にセンスが関わってくると思うのです。音楽を例に挙げましたがそのほかでも基本的に同じかと。

 

これまでに経験して、インプットした中で自身が良いと思ったり世間で認められたりしているものの中の要素を含んでいる、または全く新しい斬新なものなど、人を選びますがその人にとって良い創造を「センス」という言葉を借りて表現しているだろう。

 

それだけではなく創造者(神様みたいな言い回しになったね)の着目点や思想を加味して評価されているのです。

 

大事なことは、仮にあなたのファッションに対して「センスない」と呼ぶ輩がいたとして、すべてを鵜呑みに捉え悲観的になる必要はありません。

それは単に、その輩にとっての価値観であり、そこから出された評価がすべての他人からの評価だったり、あなた自身のすべてを判定していたりするわけではありません。

 

何かにおいてセンスを求めるのであれば一定数の意見を集め、傾向を探り、自身が良いと思うものを追求して磨いていくことで、センスはよりよくなるのではないかと。てかもうその過程が私からしたら生き方のセンス良いっすね。すべてのクリエイターに幸あれ。

 

私は好きな音楽、ファッションなど自身が選ぶものにできるだけ、それまでの人生を通して良いと感じたものを取り入れて自分の中のセンスを磨いていきたいものです。

 

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果たしてこのエッセイ集はセンスあるのか

6. いまこそ黒歴史をホワイトニング

誰しも過去に「黒歴史」と呼べる恥ずかしい、後悔の念マシマシの出来事があると思います。

曝け出す必要はないですが、思いきっって打ち明けてみることで楽になることもあるかもしれません。

そんな希薄な可能性に賭けて、どうか打ち明けさせてください。

(わざわざ自分からそうするなんて、もしかして私はちょっとドMなのかもしれませんね)

 

すべてぱっと思い出すことはできませんが、さすがに言えないものもあるので(滝汗)

ちゃんと中身の伴うエピソードを今回紹介します。

 

私は幼少期、思い返すとクソガキだったなぁと断言できます。

クソガキたる所以はいろいろあったでしょうが、その中の大きい要素として

「うそつき」という情けない特徴がありました。

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小学生の時分ですかね、うそつき全盛期でしたわ。

学校の友達と当時流行していたゲームの成果なんぞで、見栄を張って偽り鼻を伸ばしていました。すでに今執筆中の私は赤面です。くだらない。。

 

いきなりのカミングアウトで調子づいてきたところあれなんですが、実は、他のほらふきエピソードがあんまり出てこないんですね、絶対他にもあったはずなんですが。(脳の忘却という防衛本能なのか)

 

ただ、どれも共通して「ズルをしてでも自分をよく見せたい」みたいな軽薄で愚かな考えに囚われていたクソガキだったのです。

そして、どこかのタイミングで確かそれらの言動で痛い目をみて反省し、改心するきっかけがあったのだと思います(なんもおぼえていないやんけ)

 

それ以来、正直でいることに人一倍重きを置いて生きております。

嘘をつくことが苦手というか、できなくなってしまったような感じです。

なぜなら、自分ですごく苦い思い出があることを自覚できてしまった今では、大なり小なり嘘をつこうもんなら絶対に顔に出ちゃうからです。

 

ついてもバレるなら嘘をつく意味がないですもんね。

そんなことを考えるよりかは、後ろめたいような場面でも、カッコ悪く写ってしまうような場面でもせめて正直でいることが最後の尊厳というか、大事にしたいことだと感じるようになりました。

 

さて、ここまで読んでいただいてもしかしたら「思ったほど黒歴史じゃなかった」と思われた方もいるかもしれません。確かに聞く人によって黒歴史の黒具合は漆黒だったりダークグレーだったりもします。いいんです。私にとっては今でも悔い改めるべき対象として正直でいたいと強く影響を受けているので、十分黒歴史といえます。

 

自称、ポジティブ大魔王の私は自信の黒歴史さえも今後の自分の糧にしてやろうと今回小さじ2杯ばかしの勇気を投入して紹介させていただきました。

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ホワイトニングって1回で完全に真っ白になるもんなんですかね、もしかして続編が必要・・?勘弁してくれやぁまじ