1. 短歌という沼

みなさんは友達はなんのためにいると思いますか?

もちろん、人それぞれの回答があったり、そもそも利益だのメリットだので友好関係を築いていないわ、だのあると思います。

それらに正解もないでしょうし、なんだって素敵なものだと思います。

 

かくいうわたくしは、自分の友達は自分と違う人生を歩みつつも僕という人間と仲良く関わってくれるよしみで、自分の知らないことを教えてくれる貴重な存在だと思います。これが友達という存在のすべてだとは考えておりませんが、時にささいなきかっけから何かの良さを知ることができると、友達っていいなぁと振り返り感じるものです。

 

短歌です。

 

私自身もそうだし、私の知る限り周りの人間に短歌が好きだと公言している人はあまり多くありません。片手で数えるまでもないくらいです。

嫌いなわけではないのですが、深く知ることがなくそれゆえに興味を持つことがなかった対象の代表格が短歌なわけです。私にとっては。

 

そんな時にとある友達から「私、短歌すきなんだよね。」

どんなもんじゃい。

 

その友達は有名な詩人(あっているのか分からん?)の短歌集を堪能するだけでなく、自身でも短歌を作ってみては吟味されるのだそう。

ほうほう、どんなもんじゃ、と。

試しにドラフトレベルではあったけど友達作の短歌を見せてもらうと

純粋に幼心をくすぐられた私はこう思いました。

「おもろそうやん」

 

その段階では別にタイトルにあるほど「沼」でもなく、好奇心だったため深く考えずに好きなくだらないテーマや好きなちいかわなんぞで楽しく読んでみたわけで、

 

ここまで読んで、たいていの読者(居る前提で続けるけど)は、なんの話?となるでしょう。もう少し待ってくれ。

そこから触れてみると楽しいねと短歌を紹介してくれた友達に話してみるとオススメの有名な詩人とその作品の一つを教えてくれたのですが、プロの短歌をみて素人目にもすげぇと驚嘆なったわけです。

 

結局何がこの回(しかも初回)で言いたかったかというと短歌に限らず、友達がきっかけで人生経験として得るものは計り知れないなぁと。考え方によるところも大きいだろうけど、違う人生の中で触れてこられたものを共有してくれる偉大な存在が私にとっての友達のありがたさの一つだと締めたいのでございます。

 

何か自分の人生に大きく影響を及ぼすか、と聞かれるとそうではないことがほとんどだと思いますが(今回の短歌の例然り)、やはり形容できない「なんか良いよね」が人生の中で一つでも多くあるとそれは充実した生活ではないかとわたくしめ、思うのです。

 

結局、タイトルに「沼」とつけるほどでもないまま初回終わりそうなので、最後にいま即興で考えた短歌を残して仕舞いといたします。

 

『果てしなく 道ゆく人生に 彩を 友と歌えば 満ち足りてゆく』

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(本人の自己満と泥酔による見切り発車のエッセイ集はじまるよ〜)